超高層シティ

 

 NHKスペシャル『超高層シティ』をみた。
 戦慄をおぼえる内容だった。

(番組内容)
高さ100メートルを超す超高層ビルの建設ラッシュにわく東京。平成に完成したビルは300を超えた。平成の初めにバブルがはじけ、不良債権の山と化した東京が、なぜ「失われた20年」の中で高層シティーへと姿を変えたのか。実は国は、厳しく規制していた容積率の「異次元緩和」という禁じ手を使ったのだ。果たして巨大開発は、日本の発展の象徴となるのか、それとも過剰な開発競争を引き起こすのか。その光と影を検証する。



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 提議される問題は、三つ。
 まず第一に、これが容積率の規制緩和という禁じ手であったこと。日本という国は、世界に例をみない地震国。中国やヨーロッパには地震はぜったいに来ない。そんなところの国際都市と競争なんて、絶対にやってはいけない。
 二つめは、これがバブルであると警告されていること。この建設ラッシュに実体経済がおいつかずにバブルが弾けたあと何がおこるか。さらなる大不況と、商業施設や高層ビルのゴーストタウン化。そして、耐震対策・メンテナンスは不可能となる。解体工事もできないのではないのか。
 三つめは、そのバブルによって、さらに地方からの人口流入を加速させていること。人口が減ってゆく日本でバブルをささえているのは地方から東京にでてくる人たち。「東京の景気回復なくして日本の不況脱出はない」などとさけべば正論に聞こえるがこれは真逆。いまの日本がかかえる一番の問題は、東京一極集中と地方弱体化であって、それをのりこえる政策こそ待たれているのに。

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 それで、いきなり話しはとぶのですが、僕はレイチャールズの歌を思い出します。
 「Greenback」という歌。場所は、1920年代に、空前の好景気にわくニューヨークか、それとも第二次大戦の終戦直後でしょうか。南部の田舎からでてきた男が、夜遊びをしようとして、街の女にいっぱい食わされるというお話し。

(歌詞翻訳)
http://osakamonaurail.com/nakata/2018/05/greenback-1958.html

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 僕はこの歌は、本当に資本主義というものの本質を見事に言い当てていると思っているのです。
 つまり、資本主義というのは、都市で人間が燃やされてゆくのだということ。貨幣が人々の欲望を際限なくかきたてて、それに魅了された大勢の人々がはるばる遠方から集まってくる。都市とはそういった人々(の労働)を飲み込んで、まるで「千と千尋の神隠し」に登場する「カオナシ」のように肥大化していくものだということ。
 この歌の主人公は、20ドル札と5ドル札を、魅力的な女性に掠め取られる。そのあと、「さようなら、大統領(たち)!」と手をふる。つまり、女性に手をふるのではなくて、ただの紙切れとの別れを惜しむ。かくして、彼が汗を流した数日間の労働は都会にのみこまれていったのです。
 この街にはすべてがある。そしてあの緑色の紙切れさえ手に入れれば、すべて何とかなる・・・。この幻想を人に信じ込ませるのが資本主義だと思う。
(それもこれも、カワイ子ちゃんのお尻を追いかけるだけなら、ふるさとで同じことをやっていれば、貨幣も介在せずもっとシンプルなことだったのに!)

 ・・・そんなわけで、百年もまえから高層ビルというのは都会の象徴である。人類のあやまちの最たるもの、資本主義の象徴が高層ビル。それが人を飲み込む。そんなものに不況打破の活路をみいだそうとするなんて! しかも、地方再生が求められる時代に。それは、泳ぎかたを知っている者がわざわざ藁をつかんで溺れてゆく行為。麻薬中毒者にさらなる麻薬を投与する行為。バクチですったカネをバクチで取りかえそうとする行為。
 ヨコ移動(田舎→都会)の次はタテ移動(低層→超高層)。その次には何があるでしょうか。そりゃあ決まっている。さらにうえ(宇宙)にいくか地面に倒れるか、その二つしかないと僕は思う。
Inner City Blues (Make Me Wanna Holler) by Marvin Gaye, 1971




ロケット
 月面着陸
   カネをまわせよ
      貧しき者に
賃金は
 働いても
  手にするまえに
    お前がくすねる

 泣き叫びたい
 このひどい仕打ち
 泣き叫びたい
 このひどい仕打ち
 こんな暮らしなんてない
 こんな暮らしなんてない

物価は上昇
 手取りのほうは
    上昇の兆し
        無し
請求書は
 たまるばかり
  子供たちを送ろう
        戦場へ

 泣き叫びたい
 このひどい仕打ち
 泣き叫びたい
 このひどい仕打ち

悩みばかり
 心は落ち込み
   運にも見放され
    どうにもならない
そんなわけで
 いうまでもない
   いまのオレには
    税金を払うカネがない

 泣き叫びたい
 もうどうにもならないよ
 泣き叫びたい
 もうどうにもならないよ

犯罪は
 ふえて
  警察は
   銃を市民にむける
混乱は
 ひろがり
  未来は
   いったいどうなる?


Rockets, moon shots
Spend it on the have-not's
Money, we make it
Before we see it, you take it

Make you want to holler
The way they do my life
Make me want to holler
The way they do my life
This ain't living, No, No
This ain't living, No, No

Inflation no chance
To increase finance
Bills pile up sky high
Send that boy off to die

Make me want to holler
The way they do my life
Make me want to holler
The way they do my life

Hang-ups, let-downs
Bad-breaks, set-backs
Natural fact is
I can't pay my taxes

Make me want to holler
Throw up both my hands
Makes me want to holler
Throw up both my hands

Crime is increasing
Trigger happy policing
Panic is spreading
God knows where we're heading


まったく面白くもない話

 
まったく面白くない話しをするので、とてもヒマな人しか読まないでください。
あれは、たしか、去年のいまごろのことです。
例年のごとく、数週間ほどヨーロッパに遠征にいきました。
そのツアーで、うちのバンドの、誰とは云いませんがTの衣類の用意に注目があつまっていたのです。

ツアーでは連日のように飛行機にのって次の公演地に移動するのですが、そのさい、格安の飛行機会社をつかうことが頻繁です。格安会社は、持ち運ぶことのできる荷物の制限(重さやスーツケースの大きさ)がとても厳しいのです。荷物が多いと超過料金を払わされてしまいますので、それをさけるため、できるだけ衣類を少なめに持っていくようにしなければなりません。
バンドメンバー全員が工夫をして個人の荷物を小さくおさめています。すくない衣類でも寒い日や暑い日に対応できるようにします。
そんな中でもTの用意周到ぶりは抜きん出ていました。

「今日は第一形態です」「今日は第二形態です」と彼は言いました。
どうやら、第五形態くらいまで考えられているようで、暑いところ(たとえばイタリアや南フランス)の軽装から、寒い地域(たとえばイギリスやスウェーデン)の防寒まで、しっかり練られています。
小さなカバンなのでほとんど服を収める余裕が無いだろうに、一体どうやっていくつものパターンを着替えているのか、本当によく考えられています。僕は舌をまいていました。

「今日はどのパターンなん?」と尋ねると、
「あ、今日は、第三形態っスね」といいました。

その「形態」という言葉のチョイスが面白いので、しつこく、今日は第何番の形態なのか、と訊いていたのです。
さて、そこでTくんの話は終わりです。

僕はこの「形態」という言葉は、トランスフォーマー(乗り物がロボットに変態する子供向けアニメ)から採られたのかと思っていましたが、しばらくすると、どうやら『シン・ゴジラ』から採っているのだと気づきました。

公開からすでに三年ちかくも経っていましたが、僕はシン・ゴジラは観たことがなかったのです。
観たことがないのに、なぜ「第〇形態」の元ネタがシン・ゴジラであると気づいたのでしょうか、思い出せません。とにかく、気づいたのです。それで僕は「あっ!」と思いました。
「シン・ゴジラは変態(メタモルフォーゼ)するのか!」
映画は観ていませんでしたが、シン・ゴジラは原発事故を描いているのだと、皆が口を揃えて言っていたので、それだけは了解していました。
そのシン・ゴジラに、「第一形態」や「第二形態」があるらしい。・・・そ、そ、それでは一体、最終形態は何だというのでしょう?

ご存知のように、世にも恐ろしいあの原発事故は、民主党政権を崩壊させ、安倍自民党政権を復活させました。そこを起点とした日本の凋落ぶりは、ここであらためて説明するまでもないでしょう。
ですから、ゴジラは日本をおそった災いを表現しているのですから、それがメタモルフォーゼするのであれば、それは第一形態は大地震であり、第二形態は大津波であり、第三形態は原発事故による放射能であり、第四形態は安倍政権の復活にちがいありません。シン・ゴジラの「シン」は安倍晋三のことだったのか・・・!
もしかして、第五形態も描かれているのだろうか。第五形態とは一体なんだろう。安保法制か、金融緩和か、働き方改革か、特定秘密保護法か、北方領土の放棄か。いやそれともトランプ政権か。

僕は、この安倍政権という世にもおそろしい物体は、いまだに本当の正体をあらわしていないという気がしています。かつて、戦後ここまで肥大化して暴走した政権はありませんでした。その中心で総理大臣の椅子にすわっているのは、あの、権力欲の無さそうな、父ちゃん坊や然とした、ハリの無い顔つきをした人物というのがあまりにも不気味です。誰が糸を操っているのか? 張り子が倒れたあとは何が登場するのか? こんな背筋の凍ることは無いと僕は思っています。
シン・ゴジラという映画はこの時代の何を捉えているのだろう? やっぱり、シンは「晋」なのか? あるとすれば第五形態はいったい何か?

そういえば、漫画『AKIRA』は、2020年の東京オリンピックを描いていました。
漫画『二〇世紀少年』は大阪万博の再開催や、カルト教団政権のストーリーでした。
シン・ゴジラはいったい何をあらわしているのだろう?

   *   *   *

そんなわけでシン・ゴジラを観たのですが、周知のとおり僕の勝手な妄想は大ハズレで、惨憺たる気持ちになっただけでした。
第一形態は地震、第二形態は津波、第四形態から原発。そこまでで終わりです。
政治家や官僚が日本のために命をかけて大活躍する映画です。(ふつうの国民の目線を意図的に排除している。)原子炉は冷却されて事故は完全に収束します。現実とあまりにもかけはなれた結末で途方にくれるばかりです。
これほどまでにウソをつかれると、「力をあわせれば日本の未来はひらくことができる」というプロパガンダ映画でさえなく、そのまま空虚に響いて、むしろ「どうしたって未来はひらくことができない」と訴えかけている逆プロパガンダ映画にしか思えません。
(大きなデブリが都心に横たわっているという結末は、われわれに問題を提起していますが、エクスキューズかどうかはさておき、「それはイイけど、もっといっぱい描きこむことあっただろー」という感想。)

いまのところ、手がワナワナと震えてきて夜に眠れなくなるほどハラがたつのは、『神様の愛い奴』と『君の名は。』につづいて歴代第三位くらいにランクインです。
でも、もしかしたらもしかして、東宝がラストシーンを差し替えたんじゃないかとか、ゴジラの手のひらを上にむける仕草は、ひょっとしたら安倍晋三なのではないかとか。

以上、旅慣れたミュージシャンの鏡であるトランペット担当の旅準備がスゴいという話題と、まったくスゴくない映画をまちがえて観てしまったという面白くない記事はこれでおわりです。


IMAGINE(ジョン・レノン 1970年)

 


想像してみよう
もし天国なんて無いとしたら?
難しい話しじゃないよ
地獄も無かったとしたら?
空のうえにあるのは空だけさ

思い描いてみよう
世界のすべての人が
今を大切に生きる・・・

想像してみよう
この世から「国」が無くなったら?
難しい話しじゃないよ
「敵国を殺せ」も「国のために死ね」もなくなる
この世から宗教が無くなったら?

思い描いてみよう
世界のすべての人が
平和に暮らすところを・・・

夢物語だと笑うかもしれない
でも同じことを考えているのは僕一人じゃない
いつか君も仲間に入りなよ
世界はひとつになれるんだ

かんがえてみよう
所有の概念のない世界
想像できるかい?
欲は無くなり
足ることを知り
人類は兄弟姉妹になる

思い描いてみよう
世界のすべての人が
この地球をわかちあう・・・

夢物語だと笑うかもしれない
でも同じことを考えているのは僕一人じゃない
いつか君も仲間に入りなよ
世界はひとつになれるんだ


Imagine there's no heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above us, only sky
Imagine all the people living for today.

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people living life in peace.

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope some day you'll join us
And the world will be as one.

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people sharing all the world.

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope some day you'll join us
And the world will live as one.




選挙が面白かった、という話

 
選挙というのはとても面白かった、という話をします。

もう二週間前になりますが、4月7日は、統一地方選挙の日で、僕の住んでいる横浜市青葉区では、神奈川県知事選挙、神奈川県議会議員選挙、横浜市議会議員選挙の三つがおこなわれました。
それぞれについて書きます。

結果敵に一番おもしろかったのは、横浜市議会選挙です。
横浜市議会は定員86人で、ぜんぶで132名が立候補しました。
僕の住む青葉区は定員七名で、九名が立候補です。

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田中優希(立憲民主党)新人
行田朝仁(公明党)現職、当選2回
伊藤久美子(無所属)新人
おさかべさやか(自民)新人
横山正人(自民党)現職、当選6回
山下正人(自民党)現職、当選3回
大貫憲夫(共産党)現職、当選8回
藤崎浩太郎(無所属)現職、当選2回
平田いくよ(神奈川ネットワーク運動)新人

くわしくは知りませんが、やはり現職は活動基盤があるので選挙にも万全の体制で挑んでいるのかなと想像します。
田中が新人ですが、唯一の立憲民主党の候補であり、江田憲司の推薦もありますから、当選は盤石と思われます。
それらを消去すると、下記の三人が残ります。あきらかに、このなかから二人が落ちて一人が当選すると思われます。

伊藤久美子(無)、おさかべさやか(自民)、平田いくよ(神名川ネットワーク)

選挙というのは消去法です。当然ながら、いくら小酒部氏が子育てを重視している候補であっても自民党には投票しませんので、残る二人のどちらか、ホームページなどをみて選べば良いわけです。
とても悩みました。伊藤氏の人柄や訴えには好感がもてましたが、やはり政治というのは組織でやるものだと僕は思っていますので、平田氏のほうを応援しようという結論にいたりました。

わざわざ情勢を考慮することをせずに投票先をえらぶなら、僕なら大貫憲夫(共産)に投票します。
しかし、当選八回の共産党現職候補ですから当選すると思われますので、ここはひとつ当落ラインにいる平田氏に投票しました。

そうして、翌日開票結果をみましたら、なんと、たったの50票で、平田氏が当選していました。

(当選)平田郁代・・・・・8,089票
(落選)小酒部さやか・・・8,039票
http://www.nhk.or.jp/senkyo/database/touitsu/2019/14/13987/skh44540.html

僕の一票もずいぶん効いたわけです!
よく考えて投票してよかったなあと思った次第。


《神奈川県議会選挙》

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https://twitter.com/nakataryo_OM/status/1114413846024691718

《神奈川知事選挙》

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https://twitter.com/nakataryo_OM/status/1112926806955286528
https://twitter.com/nakataryo_OM/status/1113332596333731840
https://twitter.com/nakataryo_OM/status/1114137194585673728
https://twitter.com/nakataryo_OM/status/1114533689860300801



 大阪の首長ダブル選挙がおわったことをうけ、以前の記事に大幅に書き足してみたいと思います。

 本当に、わかりきった当たり前のことを、わざわざ屁理屈をこねて書きます。《理論》をまず説明してから《練習問題》を解きます。それから《応用問題》をやって、最後に《実践》すなわち、実際の僕たちの生活にどのように使うのかを説明したいと思います。

   〈囚人のジレンマ〉という、ゲーム理論(意思決定理論)でつかわれるとても興味ぶかい「たとえ話」があります。いろいろな分野でよく引き合いにだされるのでご存知のかたは多いと思います。

囚人のジレンマ
 いまここに、二人の容疑者が警察の取り調べをうけています。じつはこの二人は真犯人であり、二人の共犯による犯行です。二人はべつべつの部屋で取り調べをうけていて、連絡をとりあうことはできません。あなたはこの容疑者のうちの一人です。
 二人とも黙秘をつづけており、そこへ取り調べ官が条件を持ちかけます。
 「別室にいるお前の相棒も黙秘をつづけている。そこで、お前だけ自白してくれたなら、お前だけ釈放してやろう」
 「逆に、相棒が自白してお前は黙秘をつづけるなら、相棒は釈放されるがお前は重刑となるだろう」
 あなたは次のように考えます。
 (このまま自分が黙秘をつづければ、自分だけ監獄送りになってしまうのは時間の問題だ。)
 (もし自白すれば、わずかではあるが釈放される可能性が開かれる。)
 (したがって、よりマシなのは、自白するほうの選択肢である。)
 そういうわけで、あなたは自白します。ところが、当然ながら、相棒のほうにもまったく同じ条件が持ち掛けられていますので、同様に自白します。かくして、二人そろってあっけなく刑務所に送られてしまいました。
 ・・・はて、よく考えて行動したはずなのに二人にとって最悪の結果を生んでしまいました。いったい、この意思決定のどこが間違ってしまったのでしょう?

 これが〈囚人のジレンマ〉と呼ばれる問題です。(本当は、数式が登場してマトリクスを書いて考えるのですが、エッセンスとしては上記の説明で十分です。)

 その答えを書くまえに、これとまったく同じような、現実に発生した事例を考えてみましょう。

《練習問題》
 2015年のことです。大規模な反対運動の起こった「安保法案」が国会に提出され、衆議院・参議院を通過したうえに成立しました。
 その際、「日本を元気にする会」という政党(当時代表=松田公太参議)がありまして、安保法案について反対寄りの姿勢をみせていました。しかし、切り崩し工作があったとみられて彼らは条件付きで賛成に転じました。「付帯決議」(この際、内容はともかく)というものを条件に、安保法制に賛成の側にまわったわけです。
 松田氏はおよそ下記のような釈明をしました。
「いまさら、いくら反対を叫んだところで、もはや法案の可決は避けられない。私たちは、無駄な抵抗はやめて賛成票に転じる交換条件として〈付帯決議〉というものを与党に承諾させた。効力はすくないとはいえ、安保法制にいくらかの縛りを与えたことは、よりマシな成果である。私のこの決断が正しかったことは歴史が証明するだろう」
 この判断は一見、合理的にも思われるかもしれません。「よりマシ」な結果をうんでいるからです。
 彼の選択は正しかったのでしょうか? 間違っていたのでしょうか? 間違っているとするならば、一体どこが正しくないといえるのでしょうか?

 僕なりの答えを書きます。
 先の〈囚人のジレンマ〉の設問において、この囚人がとるべきだった行動とは、「誰が何を言おうとも黙秘を続ける」です。それが出来ていれば二人とも自由の身となれたのです。つまり、タネを明かしますと、実のところ問われているのは「オプションAをとるべきか、オプションBをとるべきか」ではないのです。「Aをとればこうなる、Bをとればこうなる、どちらが得だろうか」と考えるところに間違いがありました。つまり、「自分は何者であるのかを考え、出来る出来ないに関わらず、何を為さねばならないのかを考えて行動すれば良い・・・これが「解答」です。
 別の言い方で説明すると、「長期的かつ包括的に考えなければならない」ということです。「長期的」というのは、つまり目の前の選択肢とそれにともなう結果だけで意思決定してはならない、ということです。「包括的」というのは、自分一人の行動とその結果だけで意思決定してはならない、自分と同じ立場のひとが他にも居るのですから、全体のことを考えて意思決定しなくてはならないという意味です。

 「日本を元気にする会」の問題については、もちろん「安保法制に反対しつづけるべきだった」が僕の意見です。なぜなら、「このまま反対しても、どうせ可決するのだから意味がない」という考えが「正しい」のであれば、ほかのすべての野党も条件付きで賛成票に回ることが「正しい」ということになります。そんなことになれば、その次の選挙で、有権者は一体どの政党に投票したらよいのか分からなくなってしまうでしょう。そうすると、いままでの支持者も失うことになり、その政党は崩壊への道をすすむでしょう。これは「正しくない」。
 まあ、よーするに、《目のまえだけの損得に惑わされてはダメ》《自分だけではなく全体のことを考えろ》って、なんだか、当たり前なことを書いています。けれども、これこそが、いつだって最善の意思決定法です。


 さて、やっとこさ、今日の本題です。上記をふまえて、応用問題にまいります。そしてそのあと、最も大事な「実践問題」にまいります。

 九〇年代後半ごろの話です。保険会社からもらってきた交通事故などの案件をさばく示談屋をやっていた弁護士がおりまして、とても口が立つので、テレビに出演するようになり、2008年しまいに大阪府知事になりました。知名度と口先だけで首長になったので活動基盤がありませんので、府議会に巣食っている出来そこないの世襲議員と手を組んで政党をつくりました。
 それから日本の悪夢を先取りしているとしか考えられない十年間がやってきました。
 行政改革主義。「とりあえず公務員を叩いといたらええんや。」とくに学校の先生など弱い立場のひとたちにシワ寄せがきて、教育現場がさらに悪くなれば、どのような恐ろしい結果をうむでしょうか。「都構想」とか「道州制」は、「なんでもええからデカい話をぶっときゃ人があつまるんや」にしか聞こえません。既得権益打破は、おきまりの「敵をつくって改革、改革ゆうといたら、やってる感でるんや」です。あとは、新自由主義「なんでも民営化、民営化いうといたらカッコつくんや、その後は知らんけど。」極めつけは、「福祉削減したら金持ちから支持されるからエエんや」と「高齢者福祉をカットして子育てにまわしたらウケがええんや。介護がきびしくなってもそれは知らん。」です。
 あと、とにかく腹がたつのは、自民党とケンカしているとみせかけて、地方組織とケンカしているだけなので、じつは自民党の中枢からは大変覚えが目出たいというところです。つまり、他人のふりをして、お互いに必要になるときをじっと待っているのです。
 これが〈ポピュリズム〉。人は誰でもそうですが、経済が堕ちてゆくときにはワラさえもつかみます。そこへ、おいしそうに見えるが実は食えないメニューを並べるのです。
 ・・・あっ、冷静に書くつもりが、怒りをぶつけてしまいました。話しを選挙にもどします。
 2019年4月に、市長と知事をひっくり返すという庶民をバカにしているとしか思えない選挙が行われました。ともなって、自民党はこの政党の二人に対抗するために対抗馬を各々たてることにしたのです。

《応用問題》
 さて、右派の二勢力が上記のような茶番をやっているところで、左派である共産党や立憲民主党はどのように対応するべきでしょうか。
 選択肢は三つあります。一つ目は、それぞれ独自の候補者をたてる。二つ目は、共闘の候補者を一人たてる。三つ目は、自民党の候補を推薦する、です。
 一つ目は、選挙では絶対に勝てません。二つ目でも、ほぼ勝てないでしょう。リベラル左派はそこまで盤石な層ではないのです。三つ目は、足し算どおりにうまくいけば勝てる見込みが少しあります。
 はたして、三つ目の選択肢がえらばれました。さて、これは正しかったのか。このような意思決定で良かったのか。どこかが間違っているのか。その理論とは何か。

《こたえ》
 明らかにこれは間違いです。
 長期的にみれば誤りです。「この際、自民党に投票しましょう」と言われてハイハイと素直に応じるリベラル層の有権者がいるでしょうか。「しかたないから、言われたとおりに投票するよ、でも、政党のひとたちは、一体いままで何をしていたんだ?」という不信だけが残るでしょう。同じようなことが二度三度つづけば、もう共産党も立憲民主党も存在していないに等しいこととなりますし、有権者との信頼関係は完全に崩れてゆくでしょう。これは自壊の道です。
 包括的に判断していないことも問題です。ふだん選挙にいかない市民のことを切り捨てています。受け皿となる政党・候補がいなければ投票率は下がるいっぽうに決まっています。
 選挙で勝とうが負けようが、これは、自分たちの自分たちに対する裏切り行為です。
 政治というのは数十年や数百年という長い期間における庶民と権力者の闘いです。たったの数年先だけを見て戦略を練っていると、資金や権力をもっているほうが必ず勝ちます。しかし、長期的・包括的な戦略をたてれば必ず庶民のほうが有利になります。頭数でも年数でも勝っている、つまり、たとえば経営者より労働者のほうが数が多いのだし、つねに企業よりも人間のほうが遠い将来を見据えて暮らしているからです。

 ではどうすれば良かったのでしょうか? 答えは(一)か(二)です。もし共産党や立憲民主党が、それぞれ数十年や数百年という期間にわたって活動するという覚悟があるのであれば(一)を選択し、そうでもなくて、数年かせいぜい十年がいいところなのであれば(二)を選択するべきだったでしょう。本当は、時間的にも(一)のほうが近道なはずです。(三)はもちろんのこと(二)でさえも、たいへん危険です。信頼関係よりも直接的成果を追求しているからです。
 長期的に、負けにいっているようなものです。はっきりいいますと、これこそが、大きな負け、すなわち国家の戦争へとひた走る仕組みといえると僕は思います。

《実践》
 さいごに、わたしたち一人ひとりはどのように行動するべきでしょうか。
 さきの選挙のことについていえば、政党が(三)を選択してしまったわけですから、「絶対にこれで最後だからな!」と厳しく叱りながら、「みんなで投票しよう!」と激しく応援して、自民党の候補に投票するべきです。僕個人としてもそのように表明しました。それしか選択肢は無いのです。
 ・・・いや、「選択肢が無い」はオカシイ。わたしたちがするべきことは、選択肢に惑わされずに、これからの時代にそなえることです。

 長たらしいことを書きましたが、こういった僕たちの目の前にたちふさがる迷路から抜け出す方法は一つで、実はまるで簡単で分かりきったようなことです。それは、僕たち庶民の一人一人が「市民としてとるべき行動をとればいい」ということです。
 具体的には、政治を椅子取りゲームのように弄ぶ者ではなく、平和や人権というものを大切に考えている政党・政治家を、ひごろから応援し、選挙のときには投票するということです。「しっかりやればやるほど得票数が増えるのだ」と野党に学んでもらわなければ何も起こらないのでしょう。
 残念ながら、「とるべき行動をとる」をやったところで、いますぐ平和や理想の社会は実現しないでしょう。自分が生きているあいだ、でさえも難しいでしょう。でも、「とるべき行動をとる」は、当面の選挙だけでなく次の選挙、次の次の選挙に力強くつながっていくはずなのです。

 僕のブログはいつも結論は同じなんですけど・・・「よりマシな政党を応援しよう」。
 いまのところ、選挙では、共産党、立憲民主党、社民党などを応援することが、僕たちの暮らしをよくする選択であり戦争回避の道です。分かりきったことです。

春に思うこと。

 
四月になって、ほとんどの会社・学校は、新しい期をむかえています。
僕の子供たちも、新しい担任の先生、新しい級友にかこまれて、学校がはじまりました。
楽しくて頑張り甲斐のある一年になってほしいものです。

さて、この学区の小学校はひとつの学年はクラスが2組か3組までです。
小学校全体で約470人。いちクラスは30人くらいです。
いまは少子化の時代といわれる。
現役世代が高齢者の福祉をささえることが出来なくなってきた。
しかし、子供が少なくなることは今に始まったことではありません。
いつ始まったかというと、子供がいちばんたくさん生まれたのが1970年代前半、つまり僕が生まれた頃で、それからずっと今にいたるまで、生まれてくる子供の数は減りつづけているのです。
高齢者が多くて若い人が少ないという時代がやってくることは、もう40年以上前から知られていたことなのです。
ですから、「少子化問題」ではなくて、「少子問題」です。
言葉がオカシイ。
「少子化」は1970年代や1980年代にとりくむべきだった課題で、それは誰かがサボっていたので解決できずに、とっくの昔に敗北に終わっているのです。
今の課題は「少若多老」であって、それにどのように対処するか、いま僕たちが最も考えなければいけない問題です。

さて、その話しをふたたび後半で書くとして、別のことを書いてみます。
子供の話しをしましたので、つぎに僕の親たちのことを書きます。
四月のまえは三月。
僕の母は終戦の半年前、1945年3月にうまれました。そして、その三月は、東京大空襲をはじめ、大空襲のあった月です。

東京大空襲は3月10日。この一晩だけで十万人をこえる死者がでたとされています。
大阪大空襲の一回目は3月13日の夜から14日の未明にかけてであり、夜中におこなわれた市街地への集中的な空襲で約五千人が死亡したとされています。
僕の母の家は大阪市旭区にありました。産まれて一週間もたっていない赤ん坊だった母がいたため、僕のおばあちゃんは逃げ出すこともできず、町が大火災となるなか、家のなかで観念していたのだそうです。結果、たったの数軒さきの家まで焼け落ちたけれども、母たちのところまで火が及ばずに済んだのだそうです。

七十年後のいまでは想像できません。いや想像しないといけないことです。アメリカから(ハワイやグアムなどを経由して)戦闘機が飛んできて、僕たちの住む街のうえに焼夷弾がふりそそいだのです。
焼夷弾(しょういだん)というのは、ふつう家というものは石や土でできているものですが、日本の家屋は特殊ですべて木造であることから、屋根に落として火災をおこすように、日本の本土空襲のために特別につくられた火炎爆弾です。街全体に大火災をおこせば「効率よく」市民を焼き殺したり住民の生活基盤を破壊することができて、そうすれば早く政府が降参すると考えたわけですね。なんと恐ろしいことでしょう。

逆にいえば、およそ、戦闘機B29から焼夷弾がふりそそぐイメージこそが、僕たちの世代の日本人がまっさきに思い浮かべる「戦争の記憶」といえるのではないでしょうか。くわえて、ふたつの原爆。僕たちの世代は実際には体験していませんが、なんども映画やアニメで再現されて語り継がれているのでそのように想起します。
つまり、僕たちの考える「先の戦争」とは「空のうえから爆弾がふってくるもの」です。
そして、モンペ姿のお母さんたちが子供と一緒に逃げまわっているというように連想されます。

戦争というものは本来は、戦闘員どうしが戦場で殺し合うものなのに、一般市民の頭のうえに爆撃機がおそってくるというのは、戦争の最終局面の極限状態です。そんなことに気付いたのは僕はたしか二十歳もこえてからでした。日本人がつよく記憶している空襲や原爆の悲劇は、国際法に反した非人道的行為であって、もっと早くに降伏していれば、すべて回避することができたのです。

また、モンペ姿というのは、ほんとうは農村でつかわれていた農作業用のズホンなのですが、太平洋戦争が開戦した直後に、「おそらく、数年後にアメリカの爆撃機が飛んできて日本の都市が大火災になるので、女性は、必死で消火作業をしなければならなくなるので、動きやすい衣類を身につけておかなければならない」ということで、全国的に、鬼畜の国家が国民に強いた戦時服装です。
僕は、ながいこと「昔のひとはモンペを着ていた」と思っていました。

「先の戦争」は、満州事変から数えて十五年、日中戦争から数えて八年、日米開戦から四年間のあいだに、さまざまな凄惨なシーンがあったことでしょう。中国での悲劇、満州での悲劇、南方での悲劇、海戦での悲劇、沖縄戦での悲劇、シベリアでの悲劇、など。
それらを、正しく絵画的なイメージとして僕たちは伝えていかねばならないと思います。

さて、日中戦争と太平洋戦争で約六百万人もの人が死んだといわれています。中国をはじめ日本以外の国の方々も数百万人が死亡しているはずです。
しかし僕個人としては実感がわきません。なぜなら、僕のおじいちゃんは父方母方ともに戦死をまぬがれましたし、僕のおばあちゃんは空襲で死にませんでした。なぜでしょうか。
僕の父方の祖父(大阪府池田市)は、横須賀や呉で海軍の士官学校の教官をやっていました。船でつかう手旗信号やモールス信号を若い兵士に教えていたのです。ですので、実際の戦闘には参加することなく終戦をむかえました。
母方の祖父は、いちど朝鮮半島のほうへ出兵してから復員しました。戦争末期に二度目の招集があって大阪から熊本の港へ行き、南方へおくられるために滞在していました。そこで終戦となり、混乱のなか熊本から歩いて大阪まで帰ってきたのだそうです。

僕の祖父や祖母は戦争を生きのびました。だから、先の大戦で多くの人の命がうばわれた、というのが実感がわきません。僕のおじいちゃん二人とも、生きて帰ってきたからです。
いま僕は、あたり前田のアホのクラッカーなことを書いています。そうです、おじいちゃんたちが命をおとしていたら僕は生まれてこなかったのです。

僕の父方の祖父の弟は、ニューギニアのワイゲオ島というところで26歳で戦死しました。 
父方の祖母の弟は、ものすごく可愛がっていた弟だったと聞くのですが、復員したものの戦争が元で身体をこわして終戦すぐに亡くなってしまいました。
母方の祖母の兄は、もともと身体の弱いひとだったので徴兵されませんでしたが、戦争末期に、祖母の言葉によると「丙の丙」で徴兵検査を合格してフィリピンに行きました。
復員しましたがマラリアにかかっていて先が長くないことを悟り、迷惑をかけないようにと家に戻らず東京の病院へいくことを選択し、家族にも会わずに、そこで亡くなりました。
その人が出征するときには、大阪駅の駅前で大規模な壮行会があり、たくさんの家族が見送ったそうです。最後に一目見ることができるかもしれない、もしかしたら話しができるかもしれない、とどうせ渡すことのできないおにぎりをつくって家族で出掛けたのだそうです。

当然のことではありますが、その亡くなった僕の大叔父さんたちのことは、僕の祖父や祖母が戦後七〇年にわたって毎日お線香をあげたりお供え物をして供養してきました。 おそらく、日本が平和のうちに復興・発展してゆくにつれて、愛する兄弟を戦争で失ったことへの無念は、年をおうごとに増していったのではないかと想像します。 その人たちが生きていれば、僕にはたくさんのハトコが居たのでしょう。

ところで、去年に堺屋太一という人が亡くなりました。彼は「団塊の世代」という言葉をつくった人として有名です。団塊の世代というのは、戦争がおわって平和がおとずれたのでたくさんの子供がうまれたので、そのベビーブーム世代をさします。
僕は1972年生まれで、ふつう、第二次ベビーブーム世代といわれます。
僕が子供のころ、小学校は児童であふれかえっていました。僕は「分校」を二度も体験しています。(大阪府枚方市立)田口山小学校は子供が教室が間に合わず校庭にプレハブを建てて授業をしていました。1980年4月に藤阪小学校と分校になりました。また、そのあと引っ越しをして通うことになった(奈良県生駒郡平群町立)平群東小学校は、1985年に平群南小学校と分校になりました。僕の通った平群中学校はたしか11組までありました。

不思議なことがあります。僕の父は一九四六年二月の生まれで、母は一九四五年三月生まれです。僕の妻の両親も終戦より前に生まれています。四人とも、いわゆる「平和がおとずれて生まれた子供たち」ではないのです。戦争のさなかに生まれた人、または戦争のさなかに授かって生まれた人です。じつは、そういった人はたくさん居るのです。 だから、とても有名な「団塊の世代」というこの言葉は、大事な何かを曇らせているのではないかという気がします。

僕の両親の世代は、戦局が厳しくなるいっぽうの時代にあって、「もう会うこともできないかもしれない」というような夫婦の焦燥から生まれてきた子供たちです。すくなくとも僕の父と母は明らかにそうだ。その子供が僕なのです。僕は「団塊の世代の第二世代」ではない。僕は一般にかんがえられているような「第二次ベビーブーム」の子供ではなかった!


僕はどこから来たのか、僕の子供たちはどこへ行くのか、これからの日本はどうなるのか。

「団塊の世代」「少子高齢化」などの戦後の日本を言い当てる言葉も、いまだしっくりきていない。
言葉だけでなく、僕が教わってきた「戦争のイメージ」も間違っていることは多い。すくなくとも、十分とは言い難い。

だらだらと書いてしまいましたが、とにかく、そんなことを考えながら、早いところ、明るい日本の未来像が、モヤモヤのなかから姿をあらわしてほしいものです。

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