ヴァンピーブルズ親子インタビュー
その1:メルヴィン編
少し前になりますが、 2005年9月、憧れの人・メルヴィン=ヴァンピーブルズとその息子・マリオ=ヴァンピーブルズが来日し、僕は光栄にもロングインタビューの機会を頂きました。これは、週刊SPA!に寄稿させていただいた記事の元原稿です。(実際の掲載は、誌面の都合上、約1/3まで削って入稿しました。)一生忘れないであろう素晴らしい時間となりまし た。転載を快諾くださったSPA!編集部・生田氏に感謝いたします。(2008 .6.16)
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‘ 71年の伝説の映画『スウィート・スウィートバック』を知っているだろうか? 「最初で最後の“真のブラックムービー”」と言われている。「ブラック革命」を言葉少なく、パワフルな映像で訴えるこの映画は、製作・配給・興行の過程において完全なインディペンデントを貫き、あらゆる意味で「革命」を体現したブラックムーヴィの金字塔だ。製作・監督・脚本・主演・音楽は、メルヴィン=ヴァンピーブルズ。この映画こそが、メルヴィンが今日でも「ゴッドファーザー・オブ・モダン・ブラックシネマ」と呼ばれる所以だ。
その映画(以下『スウィートバック』)のメイキングを劇映画化した『バッドアス!』が公開される。メガホンを撮り主演を演じるのはゴッドファーザーの息子・マリオ。
今回、新作『バッドアス!』の劇場公開にあわせて『スウィートバック』も上映される。来日中の両氏にインタビューを敢行した。
インタビューは親子ご両名が宿泊中のホテルで行われた。父・メルヴィンに会うだけでもスゴいのに、息子・マリオにもその前では足が震える。『黒豹のバラード』『 NEW JACK CITY』『パンサー』といった、僕がずっと憧れてきたスーパームービーを80年代後半から立て続けに世に送り出してきた映画監督。俳優としても多忙で、最近では『アリ』にマルコムX役で出演していた。そんな2人に同時に会うわけだから、緊張しないはずがない。
1971年の『スウィートバック』が「最初で最後の真のブラックムービー」と言われているのは、大資本にまったく頼らずに製作・配給されたからだ。彼はこの映画で驚くほどの金を受け取ることになる。「Money talks.(カネが一番)」とよく口にする彼に、お金の話から切り出してみた。
中田 最初の質問です。あなたは『スウィートバック』で巨大なお金を手にしたとされています。制作費はいくらでしたか?
メルヴィン(以下メル) 誰も知らない。今まで言ったことはない。
中田 (沈黙) ...。
マリオ もし知ったら父さんに殺されるよ(笑)。
中田 わかりました(笑)。では興行収入は?
マリオ 興収は約 1400万ドルだ。ただ、当時チケットが1ドルだった。今は10ドル位だから … 。
マリオ 今のお金で 4000万ドル位だろうね。
メル デカい数字だ。最初の公開では映画館はたった2館だった。政治的な内容だから、誰も動員があるなんて思っていなかった。他の都市でやる予定さえなかった。息子が監督した『バッドアス!』でも描かれているように、水曜日デトロイトで、金曜日にディープサウスのアトランタで公開された。皮肉にもね。(注※ 1) この2都市での大成功をみて皆は「まぐれだ。次の都市では成功しないぞ。」と言っていた。その後、シカゴ・ニューヨーク・ボストンを廻ってまた大成功しても「またまぐれが起こったぞ。」と言ってたよ。それがずっと続き全国を廻りきったのさ。
中田 最初の公開の時、映画館に居たんですよね?
メル そうさ。『バッドアス!』を観たろ?
中田 最初の上映は、あなたとカップルが数組だけで ...。
メル いや、最初の上映では客は2人だけだった。 1500人収容できるデカい劇場でね。15分したらその客は席を立って、映画館に金を返せって言って帰ってしまった。2回目の上映は誰も居なかった。ところが3回目が始まる頃には、映画館の外に行列ができていた。次の曲がり角のさらに向こうまでね。とにかく1日の出来事なんだ。映画をみたら解るよ。
中田 奇跡が起こったのは3回目の上映だったんですね。
メル そうだ。人が多すぎたから、 15年間も使っていなかった2階席を開放しなければなかった。ポップコーンも売切れて...。全部映画で描かれてる通りさ。
中田 じゃあやはり本当なんですよね。映画をみても信じられなかったので。
メル それだけでなく、双子の劇場オーナーと興行成績に関して賭けをしたというのも本当の話だ。特上のスーツをね。
マリオ 父さんはそのスーツを今でも持ってるよ。
中田 1回目の上映で空っぽだった時、どうしましたか? 泣いたりしたのですか?
メル 泣きはしないが、もちろん悲しかったな。それに“タフな友達”からカネを借りていたからね。
中田 あれだけの偉業を成し遂げるには「決心」っていうのが重要と思うんです。この2作とも「決心」の映画だと思ってるんですが。
メル そうだな。だが『スウィートバック』は私にとっては 14年間積み重ねの結果だった。映画をつくるぞ!って決めたのはずっと前だった。映画の勉強をしようと決心し、独学で勉強した。アメリカでは機会がないと悟って、ヨーロッパに行った。それでフランス語を覚えなければならなくなった。監督になるチャンスを掴むために、小説家になろうと考えた。そうして小説家になった。(注※2) いずれにせよ、それが俺の選んだ道だったわけだ。
何かを成し遂げようって思った時、サンタクロースは居ないと知りながら煙突のそばでサンタを待つのはバカ者だ。立ち上がって自分でやらなきゃいけないんだよ。
中田 誰かに言われてやるんじゃない、と。
メル そうだ。映画をつくるなんてクレイジーだっていうヤツも居るさ。でも関係ないんだ。
注記 ※ 1「ディープサウスのアトランタで公開された。皮肉にもね」.....アメリカ南部の州の中でも、サウスカロライナ州・ジョージア州・アラバマ州・ルイジアナ州・ミシシッピ州のことを深南部(Deep south)と呼ぶ。フロリダ州とテキサス州が加わることもある。アトランタ市はジョージア州であり、人種差別の激しいところなので、という意味。
※ 2「(映画監督になるためにヨーロッパで)小説家になった」.....フランスで小説「Story of A Three Days Pass」を書き、自ら監督して映画化した。
メルヴィンは文字通りの「天才」だ。『スウィートバック』では製作・監督・脚本・主演のみならず、音楽まで彼によるもの。彼が作曲したときのメモが残っていて非常に面白い。彼独自の方法で数字の羅列で書いてある。 そして実際にサウンドトラックで演奏しているのは、なんと当時まったく無名のアース・ウインド&ファイア。メルヴィンの秘書のボーイフレンドがモリース =ホワイト(EW&Fのリーダー)だったのだ。たったの500ドルのギャラを支払った逸話は『バッドアス!』でも描かれている。
中田 あなたの楽譜を見た時は本当にビックリしましたよ。みたこともないような楽譜でしたからね。でも次の瞬間、ああこれが何かを成し遂げる人間の仕事だな、って思ったんです。
メル おんなじことさ。なんでも自分で自分に教えなきゃな。
中田 EW&Fっていう最適な人材が居たから実際の楽器に置きかえることも可能だったんですよね。
メル いや、その時までに既に俺はアルバムを3枚だしていたんだ。当時の秘書が「私のボーイフレンドのバンドを聴いてあげて」といってきてた。それがモリース達だったんだ。すごく優秀なミュージシャン達だったよ。だが彼らはまだ1枚もレコードをだしていなかったよ(笑)。
中田 サントラは STAXレコードから発売されましたよね。
メル 私の初期の3枚は A&M社からだしていた。だがA&Mの連中が映画を気に入らなかったんだ。それでほかを探した。STAX社は黒人経営の会社だったからそこに持っていったのさ。
中田 あなたは STAX社の映画『ワッツタックス』にも出演していますよね。
メル それはこの映画が成功した後の話しだ。『スウィートバック』がヒットしてサントラも売れたから、ハリウッドは『黒いジャガー』を作ろうと決め、サントラはスタックス社に頼もうと考えた。つまりこの(音楽を絡めるという)映画産業のマーケティング方法は私が開発したものだよ。「黒いジャガー」では主役俳優も無名で不安要素が多かったから、話題になり売れるサントラをつくらせるため、俺のマネをして STAX社に頼んだというわけだ。これが、STAX社が映画産業に深く踏み入ることになったいきさつだ。
中田 映画と映画音楽の関係のありかたに大きな影響を与えた、というわけですね。
メル もちろんだ。影響を与えたんじゃない。誰もやっていなかったことだ。 100%俺のまったく新しいアイデアだよ。
中田 僕は 1960年代後半から70年代前半という時期にすごく憧れがあるんです。ベトナム戦争があり、そして政治、音楽、映画、ファッション...。すべてがパワフルな時代でした。
メル 私は新しい音楽を始めたんだ。それはいま「ラップ」と呼ばれている。なぜなら当時の音楽は、いい音楽ではあってもストーリーを伝えるようなフォーマットじゃなかった。ゲットーでの出来事が反映されるような歌はなかったんだ。だからストーリを語れるようなスタイルを発明した。メロディを排して、言葉をメロディの替わりにした。これがラップになったんだ。ギルスコット =ヘロンも、ラスト=ポエッツも俺に習ったんだ。その後は、RUN DMC、カーティス=ブロウ...。それ以前は音楽はそれほどメッセージを運ぶものではなかったんだ。ウータンクラン、NWA...。そういった連中も後に続いた。映画の世界で『スウィートバック』が『バッドアス!』まで発展したように、音楽では、俺が「スポークンワード」って呼んでるスタイルから現代の“ギャングスタ・ラップ”と呼ばれてるものまでな。
中田 スウィートバックは、まさに革命的とも言えますが ---
メル 「とも言える」じゃない。まさに“革命的”だ。
中田 はい、そうでした(笑)。アレステッド =デヴェロプメントが「おれたちは現在でもいまだに革命のことを語り続けてるぜ」っと唄ったのは1992年でした。どうでしょうか? 2005年の今、まだ革命のことは語られていますか?(注※3)
メル そうでもないな ...。(しばし沈黙。)映画でも音楽でも、独占的企業は少しばかりの余裕をもたせてはいるが、政治的な側面は取り除くようにしているようだ。
中田 打破するために何かすべきですか? できることはありますか?
メル 私が仕事をする時は ...。そうだな、私ひとり個人の力では独占的映画スタジオや、大手レコード会社の力と競争するのは不可能だ。政治的になれば「ああこれは成功しないぞ」と言われる。カネが大事で、メッセージ性は嫌われる。政治的な側面とか、権利獲得のメッセージとか、そういったものは取り除かれてしまう。
中田 例を挙げてもらえませんか?
メル そうだな、ブラクスプロイテーション映画は「反革命的」だ。(注※ 4) 私の映画が革命的なのに対して。例えば、シャフト(映画『黒いジャガー』の主人公)は「体制」に仕えてるだろ? これではまさに反革命的だ。筋をよく理解すればわかる。こういった事項はサブリミナルに折り込まれる。(注※5)●●が言うセリフで「********」ていうのがある。これじゃあ革命的どころか全くその逆だろ?(注※6)
中田 :子供の頃のヒーローは誰でしたか?
メル ミラーだ。
中田 :ミラーって誰ですか?
メル ミラーだ。「鏡」だよ。鏡を見たら映ってる人間だ。強いて挙げるならそいつだ。当時ヒーローなんて居なかったよ。
マリオ お父さん(マリオにとってのお爺さん)は?
メル まあな。でもアーティストとかのヒーローのことを聞いてるんだろ? 当時の映画には道化的な黒人しか登場しない。ヘラヘラヘラってな。(おどけて見せる。)そんなのがヒーローか? 当時は誰も居なかった。だから俺がヒーローを作る必要があったたんだよ。
マリオ 映画の中のヒーローに限らず、だよね?
中田 そうです。僕だったらモハメド =アリとか、ジェイムズ=ブラウンとか … 。
メル ジョー =ルイスとかかもな...。でもヒーローらしいヒーローは居なかったんだ。後になって勉強してブラックヒーローが存在していたことを知るんだ。いろんな発明をした黒人もいたけれど、黒人であることは知られていなかったんだよ。歴史は、常に「歴史的な文脈の中」でのみ語られる。「歴史的な文脈」では「黒人」という情報は削られるんだ。昔、見本として見習うように教えられた人々は....、それは奴隷だ。
中田 わかりました。メルヴィンさんへの質問は以上です。
マリオ メルヴィンは休んでもいいかな?
中田 どうぞ。 (「その2」へつづく)
※ 3.....60年代後半に提唱されたような ” 革命 ” のことを謳っている 90年代以後のポップカルチャーの例としてArrested Developmentのことを挙げたつもりだったが、この曲はスパイク=リーの映画「Malcolm X」の挿入曲であったことを僕は忘れていた。当時メルヴィンはこの映画にいささか否定的で、のちに『パンサー』を製作する。
※ 4「反革命的」.....Counter-revolutionary。「似非革命的」でもなく「反」革命的だ、とメルヴィンは言っている。
※ 5「サブリミナルに折り込まれる」.....映画『黒いジャガー(Shaft, 1971)では、主人公・シャフトは一見、皮のコートを羽織った一匹狼の私立探偵、白人に媚びを売らない黒人、として描かれている。しかし実際のストーリは全く逆で、警察に脅されて強制的に捜査に加担させられる、という実に皮肉な内容だった。
※ 6.....ここは何を言っているのか聞き取れなかった。インタビューの録音テープが残っているはずなので、折りをみて聴き直します。